2週間の検疫生活

検疫2日目には彼の母が手料理や足りない物を持ってきてくれました。もちろん面会不可能なので医者が部屋に運んできたのですが、会ったこともないのにここまでしてもらえるものかと感動しました。(検疫中2度も)

 

ずーっと部屋に閉じ込められているのでバレエをするか、ケータイを触るかしか本当にすることがありません。ウランウデは日本と時差1時間なので日本と連絡がとりやすかったです。

 

1人部屋だったので毎日レッスンはしました!笑 今までハードなツアーでもう踊りたくない!!と思うことはありましたが、やっぱりなくなると辛い。踊りたくて仕方なかったです。

これまで大きな怪我とかもなくMaxで2週間ほどしかバレエを休んだことがなかったのでこれから先の生活が不安でした。

 

朝起きてレッスン、映画見たり、時々ロシア語の勉強。こんな毎日を過ごしていました。その間にこれからのことを考えました。彼とウランウデの劇場はまだ働いているからそこに一回顔出してみようとかいう意見も出ましたが、私はビザの期限つきで滞在しているのでいつまでいられるのか検疫が終わって少ししたら帰国は避けられないと考えていました。何より1月終わりに飛んできてまたすぐ帰国か2か月しかいられなかった。もちろん彼とも離れたくないし、ロシアになんとか残りたい!!ロシアに残れれば何か繋がるかもしれない、、この際国際線なんて止まってしまえばいいのに。と本当は思いました。

 

この検疫中にハバロフスクにある日本領事館から私宛に病院に電話がかかりました。なんと新聞に私のことが載ったみたいで(ウランウデの病院にて検疫に入った日本人みたいな内容)病院の暮らしはどうとかここでのことを話しました。

最後に何かあればいつでも電話してくださいと言ってくれました。

そしてこの電話を通して知り合いになった何日か後にロシアがすべての国際線を中止。と発表したんです。詳しいことは領事館の方から聞きましたが、願ったら叶ったと。笑 この後今もですが、彼の実家で暮らしていますが、彼の母がこの状況を受け入れてくれなければどーにもならなかったので本当に感謝しています。

 

そしていよいよコロナの患者も増えてきて(私が着いた時は陰性だが様子見の人達が集められた)3回目の検査も陰性だったので、患者が増えてきたから健康な人はもういいだろうということで、まさかの11日で退院することができました笑 さすがロシア。絶対の14日間とかないんですねー。

 

3/17に病院に入り、3/28に退院して彼の実家に行きました。最初は隔離なんてと絶望したけど、ここでできたご縁に今はとても感謝しています。

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写真は毎日のバレエスタイル、検疫編です笑

 

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